2019年6月20日木曜日

言い訳とエビデンス。



こんにちは。


久保田隆介です。






□エビデンス

=evidence
証拠・根拠・証言・形跡






臨床に出ていると、
エビデンス云々などとは
言っていられない場面が
多々あるかと思います。


また、
いくらエビデンスが取れていると
言ったところで、
再現性が100%ということは
基本的にはないわけです。


化学ならともかく、
特に徒手アプローチなんかの世界は。






でも、
医療業界だったり、
景品表示法だったり、
そういった社会的勢力(?)が
エビデンスを重視してしまっている以上、
当然蔑ろにもできません。






とはいえ、
社会的な在り方と臨床は、
また別問題であるべきなのです。






ここでも本当に不思議なのは、
やはり頭の悪い施術家たち。






普段は

整形外科なんてクソだぜ~

医者なんて何もできないぜ~

あいつら間違ってるぜ~

とか言っておきながら、
質の如何を問わずに
医師と対面するとペコペコしてしまう。






それと同様に、
普段は

感覚が~

繋がりが~

筋膜が~

脳脊髄液が~

テクニックが~

とか言っているくせに、
ひとたび
「エビデンス取得済み!!」
なんて言われちゃった日には、
無駄に対応が変わる。






ほんとポンコツばっかり。






ほとんどのエビデンスなんて、
所詮“言い訳”みたいなものだと思います。






そもそも言い訳って、
言い訳した方が良さそうな状況に
陥っている中で、
"自己正当化したい"という
心理が生み出す発言じゃないですか。






でも、
“言い訳がましい”という表現の通り、
どこか優位性を誇張し過ぎていたり、
極端に自己養護的だったりするから、
相手は
「言い訳するなよ、、、」
みたいな心理にもなるわけで。


ドストレートな事実の明示だけであれば、
どこに違和感が生じることも
基本的にはないはずなのに、
どこか論議の方向性をズラそうとする
優位性獲得のための意図が含まれるから、
言い訳って良しとされないのだと思います。






それと同様にエビデンスも、
完全なる第三者が、
何の方向性の目標も指標もないままに、
ゼロベースの気付きや発見の中から
偶発的に得るものではないわけで。


お金を出して、
エビデンスを取ろうとする人が、
不安定とはいえ
ある程度の方向性を示唆するレールを
敷いた状態で実証しようとするのが
慣わしなわけですよね。






つまり、
自己の優位性獲得のための意図が
拭えない以上、
それが第三者機関に依存するとはいえ、
“言い訳”に近い習性もまた拭えない
ということです。






権威やエビデンスに縋るなよ。


真に大事なのはそこではない。






ケンカの仲裁とかもまた、
これと若干似ていますよね。






どちらかが悪いだろうという
バイアスがかかっていれば、
出て来る質問や確認ための問いかけも
当然違って来ます。


その点、
裁判なんかは社会的に中立であるべきで、
裁判官なんかは
余程人間性も問われることと思いますが、
彼らもまた、
我々と同じ人間ですからね。






要は、
良くも悪くも
そこにエビデンスがあるからといって
過信することなく、
自身のリテラシーの下に
俯瞰して思考することが不可欠だ
ということです。






あ、
ちなみにアホがアホみたいな抗議を
して来たらダルいので
念のために書いておきますが、、、


この記事は、
エビデンス云々という話ではなくて、
モノの見方にあたっての
“考え方”の話ですからね。






それでは。

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