2017年7月10日月曜日

感覚だけど、感覚じゃない。


from 久保田隆介



こんにちは。

昨日は大阪セミナーの開催でした。


多くの方と出会えて幸せです。





さて、
セミナーの中でも話題になった

“感覚”

について書いていこうと思います。



施術家の業界だと、
よく使われる言葉ですよね。



組織の質感、

良いか悪いかの判断、

触る感覚、

見る感覚、

などなど。





例えば、

“感覚”と言ってしまうと理解が難しいということで、

「どのように評価したら良いでしょうか?」

「どのような基準でしょうか?」

というようなご質問をよく頂きます。



でも例えば、

セミナーで何かを教わって、

それをペアの人とやってみて、

その“たった一例”しか経験値がない状態では、

それが良いのか悪いのか?

硬いのか柔らかいのか?

他にどんなケースがあるのか?

まったく想像が付かないことも多いと思います。





だから、
どこまでも簡単な方法をほしがって、
答えを求めようとします。

っていうような人が多いと思います。

何かしら基準を教わらないと不安なんだと思います。





多くの人がそんな性分なのに、
“感覚”って言葉を使ってしまうから、
難しいような、
よくわからないような感じになってしまうのだと思います。


それを、

“経験”とか“場数”っていう言葉に
代えてみたらたらどうでしょうか?





例えば、

硬さ(=柔らかさ)を判断しようとする場合、
10人触った経験があれば、

10人の中で一番硬い人、

10人の中で一番柔らかい人、

10人の平均的な感触、

そんなことがわかります。



これが1000人触った経験があれば、

1000人の中で…

ということがわかります。





これ、
先程も言ったように、

“感覚”って言ってしまうから、

「感覚って言っちゃったらわからないじゃないですか!」
ってなって、

もっと明確な判断基準がほしい、

もっと的確な答えがほしい、

もっと再現性がほしい、

ってなってしまうのだと思います。





でも、
経験値がそもそも低いのに、
熟練者が経験から得た答えだけもらっても、
それは同じことを知ったということにはならない
ということにまずは気付かないといけないと思います。





情報が得やすい時代になっていて、

階段を何段もすっ飛ばして、
とりあえず“答えだけ”が手に入りやすくなっています。

でもみんなけっきょく、
階段を何段もすっ飛ばして、
“過程”で得るはずの深味がないから、
なんだか薄っぺらい人が多いんですよね。





“感覚”って言っている人のほとんどは、
みなさんが思っているような特殊能力的な感覚では
ないと思いますよ。

他の人達よりも思慮深く身体を見てきて、

他の人達よりも「なぜ?」や「どうして?」を
繰り返してきて、

何より経験が豊富で、

成功のための失敗もしていて、

それでその人の中に確立された
判断基準のことを“感覚”と表現している場合が
ほとんどだと思います。





だから、
教わったことはとにかく数をこなしてみる。

それが何よりの糧になるのだと思います。



きっと学ぼうとする姿勢というのは、
どこに行っても評価される反面、

ただ答えを求めようとすることは、
むしろ評価を下げることに繋がるかもしれません。


気を付けないといけませんね…。

何より、
自分で成長を妨げてしまいますからね。

それに気付けていない人が多いということです。





福岡、横浜のセミナーはまだ間に合うので、
気になる方はぜひチェックしてくださいね^^
https://goo.gl/B584ma



P.S
だから本当に最近思うのは、
たった一回のセミナーで、

脳脊髄液の流れが感じられるようになったとか、

頭蓋が動く感覚がわかったとか、

筋肉が溶ける感じがわかったとか、

「はぁ?!」って感じです。


もちろん、
それまでも手先指先の感覚を大切にして、
イメージや流れを感じ取る意識の
あった人であればまだしも、、、

ね。笑


でもこれね、
感じ取ることが難しいことだと
決め付けている事自体も
もしかしたら違うのかもしれないし、
もしかしたら考えている以上に
難しいのかもしれないし、

あるいは講師が言っていることや
感じていることも全部勘違いかも知れない。

答えはどこにもないけど…。

何でも固く考えずに、
いろんな可能性を感じていたいですよね。









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