2017年12月23日土曜日

「いろいろある」ではダメな理由。

from 久保田隆介




こんにちは。




治療家が患者さんを診る時、
いろいろな見方があって、
いろいろなアプローチ法がありますよね。




あるいは、
治療家と運動指導者では、
そもそも引き込むカテゴリが違うので、
当然見方も大きく違ってくるでしょう。




“引き込むカテゴリが違う”
というのは、
そもそも施術を前提として見ているのか?
運動指導を前提として見ているのか?

という意味だと思ってください。




痛みや辛さに対して、

良くなれば何でもいい

とか、

その人に合ったやり方で

とか、
そういうことってありますよね。




確かに、
施術でも運動でも、
まずは取り組むことが必須ですから、

その人に合ったやり方

というのは、
非常に大切だと思います。




でもここで言う

その人に合ったやり方

というのは、

適切かどうか?

という意味ではなく、

その人が受け入れやすいかどうか?

という意味です。




きついのが嫌だって言っている人に
きつい運動をさせたり、

触られるのが好きじゃないっていう人に
施術しか手段がなかったり、

そうなると
そもそもアプローチすること自体が
難しくなりますからね。




で、
問題は、

良くなれば何でもいい

という方について。




操体法も、

PNFも、

METも、

トレーニングも、

詰まるところ
ほぼ同じようなことをやっている…。

なんていうことは
図らずもよくあると思います。




だから治療家(施術家)は、

いま自分が何をしているのか?

っていうことを把握することと、
その技術の精度がとても大事だと思いますが、

それ以上に、
目の前で起きている現象を尊重することが
非常に重要だと思います。




ナントカ法とか、

なんとかテクニックとか、

そんなのはどうでもいいわけですからね。




で、
こと手技の話になると、

意外と追求しないクセに
“良くなれば何でもいい”
っていう人が多いのに、

じゃぁ薬は?
ってなると、
否定する人が多いんですよね。




薬は対症療法。

手技は根本アプローチ。

って言うわりには、
じゃぁその痛みはなぜ出ていて、
その手技によってどんな変化が起きて、
結果的に今どうなって痛みが取れているのか?


っていうのを
ちゃんと追求している治療家って、
たぶんほとんどいないんですよね。


本当にその痛みの原因が正解で、
その手技で起きた変化も事実で、
そこに相関関係があるのであれば、
例外なく治せるはずなんですよね。


でも実際の現場では、
痛みが取れないことも
多々あるわけじゃないですか。


おかしいですよね。




身体を見る上で、

いろいろなパターンがあって、

いろいろなアプローチがあるけど、

それが正解なのかどうかは
どこまで行っても後付でしか
わからないと思います。




でも、
所詮わかり得ないことではあるけれど、

きっと

正解と適切

ってあるはずで、
そこを追求することをやめたくないですよね。




だからそういう意味で言うと
けっきょく、

いろんな考え方があるよね。

とか、

いろんなアプローチがあるよね。

とか、

これでも良くなるけどあれでも良くなるよね。

とか、

良くなれば何でもいいよね。

とかいうのは、
本当はそれではダメなんだと思います。




それでも市場では、
ある程度までの変化が出ている
ユーザーが多いというのは、

正解か適切かどうか?

ということはさておき、

ちょっと変化させる程度であれば
意外と簡単っていうことなんですよ。




でもさっきも言った、

正解と適切

っていう道を通って、
例えば痛みを解消するとか、
ミスユースを治していくとかなると、

きっと真実はいつも一つはなずなんです。




たぶん全力で追求しても
先に寿命を迎えてしまいそうですし、

核心に迫ることが
あまりにも難しいですが、

「良くなれば何でもいい」

なんていう無責任なレベルでは
居たくないと思います。




人間は考える葦である。




伝わる人にだけ、
伝わればいいです。笑





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